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「回心のもたらしたもの」
2025年1月19日
聖書箇所:エレミヤ書 21章 1節~10節
使徒言行録 9章19b節~31節
日本キリスト教会 牧師 富樫史朗
先週の礼拝では私達はサウロの回心の記事から学びました。今日の説教ではその続きの記事から聞きます。初代教会が「ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者」と「ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者」からなっていたことをこれまでお話ししてきました。「ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者」は実は話す言葉がギリシア語だというだけでなく律法に対する態度そのものも服装もギリシア的で、その本質は「ヘレニズム世界的自由主義」でした。つまり、ユダヤ教の内、世界で通用するもののみを守り、そうでないものは切り捨てるという生きかたでした。それで、律法にすべて忠実にあることにキリスト教信仰を足して生きて行かねばならないとする「ヘブライ語を話すユダヤ人キリスト者」にとっては律法を軽視する彼らは困った存在でした。たちまち祭司長たちによる迫害の対象になってしまいました。サウロも外地生まれのユダヤ人でしたから本来なら「ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者」の仲間のはずでしたが、パリサイ人としての育ちに加えてエルサレムに留学して律法学者としての教育を身につけたのでパレスチナ出身のユダヤ人と同じ考え方をしようとしてきたと思います。ところが、ダマスコに行く途中で天から光がさして、彼をめぐり照らした時、彼は地に倒れました。その時、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける復活の主の声を聞きました。彼は目が見えなくなり、同行者たちが彼の手を引いてダマスコへ連れて行きました。それは、「立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべきことが告げられるであろう」との主の声を引き続き聞いたからでした。
他方、ダマスコ在住のアナニアというユダヤ人クリスチャンに主が幻の中に現れて、おっしゃいました。「立って、『真直ぐ』という名の路地に行き、ユダの家でサウロというタルソ人を尋ねなさい。」アナニアはサウロがエルサレムだけでの逮捕に飽き足りず、自ら率先してシリアのダマスコまで「ギリシア語を話すユダヤ人キリスト者」を追い求めて来たのを知っていましたから、なぜそんな危険人物のところに自分が助けに行かねばならないのかを理解できませんでした。しかし、主のご命令なので行って、言われたとおりにサウロに手を置いて、言いました。「兄弟サウロよ、あなたが来る途中で現れた主イエスは、あなたが再び見えるようになるために、わたしをここにお遣わしになったのです。」、するとたちどころに、サウロの目から、うろこのようなものが落ちて、元どおり見えるようになった。そこで、サウロは立ってアナニアから洗礼を受け、また食事をとって元気を取り戻しました。ここで、日本人のクリスチャン女性眼科医が提唱した「パウロは緑内障だった」という説をご紹介しました。緑内障を初めて発症した人は精神的に混乱すると眼圧が一過的に高くなって失明状態に陥り、数日後に精神的に安定すると目からうろこが取れたように感じて視力が回復するのだそうです。「血縁結婚をするユダヤ人に多い遺伝病」の一つで、パウロの症状はこれに違いないと言うのです。著者の後書きを読むと、日本基督教団目白教会員であった著者はこの発見を本にまとめるために近くの聖書神学校の聴講生になり、校長の指導をうけたそうです。
今日の新約聖書はここからです。サウロは、アナニアの紹介によってでしょうが、ダマスコにいるユダヤ人のキリスト教への回心者たちと共に数日間を彼らからキリストの教えを学び、それと共に旧約聖書の中にイエス・キリストを預言する聖句を捜しました。彼が後にローマの信徒への手紙などで体系的に述べる信仰義認という教理も彼自身が律法遵守よりも信仰が大切ということを旧約聖書から見出したものでした。それからただちに諸会堂でイエスのことを宣べ伝え、このイエスこそユダヤ人が長年待望してきたキリストであったと説き始めました。これを聞いた人たちはみな非常に驚いて言いました。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか」。しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせました。
ところで、サウロ、後のパウロは、ガラテヤ人への信徒の手紙第1章15~19節のなかで、自分の回心直後のことを回想しています。「しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。それから三年後、ケファつまりペテロと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。」だから、次の「その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。」の「その後」とはこの三年間のことだと思われます。彼の回想に基づくならば、彼がダマスコの町を出発するまでには3年以上の月日が経過しており、しかもその間、サウロはアラビアに旅行して、彼の地で自分の使命について深く思いめぐらす時を持っていたことが分かります。ちなみにこの「アラビア」とは現在のサウジアラビアのことではなく、死海と紅海の間にあった都ペトラを中心とするナバテヤ王国のことです。サウロは親しい人々から別れて静かな時を持つために有名な町ペトラにも行ったのでしょう。そして3年経ってダマスコへ帰って来たのでした。
ダマスコにおけるサウロの準備期間を終わらせたのは、ユダヤ人による迫害でした。三年たってサウロが元のユダヤ教の信仰に戻らないことが分かると、ユダヤ人たちは自分たちを裏切ったサウロを殺す相談をしました。ところが、その陰謀が彼の知るところとなりました。彼らはサウロを殺そうとして、夜昼、町の門を見張っていたのでした。そこで、三年間にできた彼の弟子たちは夜の間にサウロをかごに乗せて、町の城壁づたいに吊り下ろしました。
サウロはエルサレムに着いて、主イエスの弟子たちの仲間に加わろうと努めましたが、三年たっても皆の者は彼をキリスト者とは信じないで、恐れていました。サウロを祭司長達のスパイだと思ったのです。今日の旧約聖書エレミヤ書第21章1~10節によれば、預言者エレミヤはユダ王国が主なる神さまが送り込んだバビロンの軍隊には勝てないので降伏するようにゼデキヤ王に忠告しました。この時のエレミヤの預言には(それはエレミヤ書第21章8~10節ですが)次のような言葉があります。「あなたはこの民に向かって言うがよい。主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。この都にとどまる者は、戦いと飢饉と疫病によって死ぬ。この都を出て包囲しているカルデア人に、降伏する者は生き残り、命だけは助かる。わたしは、顔をこの都に向けて災いをくだし、幸いを与えない、と主は言われる。この都はバビロンの王の手に渡され、火で焼き払われる」。
太平洋戦争中、無教会のキリスト者たちは日本基督教団に合同させられることもなく、小規模な集会を日本各地でおこない、聖書研究を行ってきましたが、イザヤ書やエレミヤ書など預言書の学びを集中的行っていたことが、リーダーの一人、後に東京大学の総長になる矢内原忠夫の講義録などから分かります。彼らは日本が降伏すべきことを学んでいたように私は思います。しかし、エレミヤ書に戻ると、王はエレミヤをバビロンのスパイと見なし、投獄しました。スパイというのは穏やかではありませんが、実は日本で最初のプロテスタント教会であります横浜公会、後の日本キリスト教会横浜海岸教会の最初の受洗者の中には明治政府が送り込んだスパイがいました。明治5年、1872年3月10日、横浜公会で日本人9人が宣教師から洗礼を受けましたが、そのうちの一人が明治政府から送り込まれた間諜、つまりスパイだったことが今日、知られています。この人、安藤劉太郎は元東本願寺の僧侶で、後に日本で最初の国立お茶の水幼稚園の園長になったというのですから驚きです。しかし、この人のおかげで、つまりこの人が太政官に送った報告書が国立公文書館に残されていて、当時の横浜公会の様子をくわしく知ることが出来るのでさらに驚きます。明治政府が送ったスパイのもう一人は江戸の目明かし出身者でした。ついでのことながら、私はイスカリオテのユダも最初から祭司長たちの送り込んだスパイではなかったかとひそかに思っています。主イエスはそのことを知っておられた上で弟子にし、最後まで彼の心を変えることが出来なかったことを悲しまれたのかもしれないと思うのです。
ところが、ここで後に「慰めの子」とあだ名で呼ばれたバルナバが登場します。バルナバは常にだれかとだれかの仲を取り持つ存在です。仲直りの仲介もします。私達はそのようになりたいし、そのような人を大事にしなければなりません。使徒言行録第15章では、バルナバは宣教旅行にヨハネと呼ばれるマルコ、この人はマルコによる福音書の著者と考えられている人物ですが、この若者を連れて行きたいと後のパウロに言いました。しかし、前回の伝道旅行の途中で勝手に離れて宣教に一緒に行かなかった者を連れて行くわけにはいかないと主張したので、別行動になったことが記されています。そこでバルナバは親類に当たるマルコを連れてキプロスに向かい、パウロはシラスという別の若者を連れてシリア州やキリキア州を回る旅に出ました。彼はこの時も、サウロの世話をして使徒たちのところに連れて行き、途中で主が彼に現れて語りかけたことや、彼がダマスコで主イエスの名を大胆に宣べ伝えた次第を、彼らに説明して聞かせました。それ以来、サウロは使徒たちの仲間に加わり、エルサレムに出入りし、主の名によって大胆に語り、ギリシア語を使うユダヤ人たちとしばしば語り合い、また論じ合いました。サウロはギリシア人の植民都市タルソスのギリシア的環境の中で育ちました。それで物事を理性的に考え、合理的なものを受け入れて、不合理なものを退けるという生き方を身につけていたのです。だから、彼はギリシア語を話すユダヤ人達の思いを理解したのではないでしょうか。しかし、彼らエルサレム育ちのユダヤ人たちはそのサウロを殺そうとねらっていました。初代教会の信徒たちはそれと知って、サウロをカイザリヤに連れてくだりサウロの故郷でありますタルソスへと送り出しました。
こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行きました。私達はここで、「初代教会を迫害していたサウロ」を「異邦人への使徒パウロ」に変えられた聖霊の業に圧倒されます。最大の敵対者も神さまの思し召しであれば、最大の味方に変えられる可能性があります。私ならエレミヤの預言のように命への道がどちらか、滅びへの道がどちらかを理屈によって諭します。そして回心者を得て、使命を与えます。使命を与えられた人は予想以上の働きをします。また、思いがけない助けが与えられます。
私達にも伝道が振るわない悩みがありますが、神さまに聖霊の助けをまず、祈りましょう。